旅の蜃気楼

一体感が生み出す力

2009/10/07 15:38

週刊BCN 2009年10月05日vol.1303掲載

【本郷発】 熱海と聞いて松下幸之助の『熱海会談』を思い浮かべるのは、年かさの家電業界の方が多いであろう。熱海会談は、東京オリンピックが開かれた1964年7月の出来事だ。景気の急速な後退で、メーカーとともに家電販売店は窮地に追い込まれた。松下電器産業(当時)は、全国の販売店の経営者を熱海に集めた。険しい表情の販売店主を前にした会談の場で、幸之助は心のうちを語った。目に涙が光っていたという。こうして松下と販売店の結びつきはより強固になった。これをきっかけに、松下は成長路線を突き進んだ。――とはいえ、当時のメーカーと販売店の関係と、現在の流通構造とはあまりにもかけ離れている。メーカーと販売店の一体感が今はなさ過ぎる、と感じているのは私だけだろうか。現状のままだと、メーカーが疲弊して、次の世代に天下を取るべき「ウォークマン」が生まれてこない。

▼熱海と聞いて、大塚商会が経営するホテルニューさがみやを思い浮かべるのは、IT業界の人だろう。久しぶりに創業者の大塚実さんに会った。話題は「熱海の梅園」に及んだ。120年の歴史を誇る梅園だ。早咲き、中咲き、遅咲きと開花するので、1月から3月の長い期間のイベントとなる。人が集まったのは昔の話だ。熱海に人が集まらなくなって久しい。梅も老朽化して、「花付きが悪い」「元気がない」などの評価で人の足は遠のくばかりだ。こうした状況を憂えた篤志家が私財で梅の植え替えをした。最初は地元住民の反対に遭ったが、梅の開花とともに理解を得られるようになった。その後、もみじも植えた。糸川べりには桜を植樹した。「いずれは河津の桜に匹敵する桜の名所になるよ」とビジョンを高らかに歌い上げた。一人の篤志家の活動が住民の心を動かし、熱海が四季折々の花の町に変わろうとしている。「僕は、人が10年かかるところを2年でやるからね」。久しぶりの大塚節はこの時期にあって、なお健在だ。熱海に人が集まり始めている。人の集まりには素晴らしい一体感が生まれる。(BCN社長・奥田喜久男)

自然環境の保護に深い関心を寄せる大塚実さんとは、かつて千葉県鴨川市の千枚田で面談したことがある
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