旅の蜃気楼

100kmを走り抜いた二人の超人

2013/05/01 15:38

【御殿場発】“その日”は思い出に残った。その日とは4月21日。富士山が聳え立つその一帯には前日から冷たい雨が降った。当日は『第34回BCN杯』の開催日だ。半年に一回を繰り返して、もうそろそろ20年になる。毎回、IT業界の経営者が30名ほど集うコンペだ。早朝にクラブハウスのホテルで目を覚まして、カーテンを開ける。いやはや、天気予報通りに夜半から降り続けて、予想以上に気温が低い。これは困ったなあ。

▼それでも参加者の皆さんは、太平洋クラブ御殿場ウエストのコースに、早朝の6時ぐらいには集まっていただいた。この状態では体の負担が大きいので「中止ですね、朝食会に切り替えましょう」と、30名のメンバーが一堂に会してラウンドテーブルとなった。旧知の仲間、初対面の方々がワイワイガヤガヤと賑やかだ。今回の参加者はBCN杯があるべき姿として描いている日中韓の経営者が集まった。昨年のこの日は晴天で雪を被った富士山を見ながら、クラブを振った。だけど、今年は和食や洋食を楽しみながら近況を語りあった。フェアウェイは雨で霞んでいる。集っていただいた皆様、ありがとうございました。

▼朝食会は8時過ぎにお開きとなり、クラブハウスから外に出てみると、相変わらず土砂降りで、ブルッと身震いするほどに気温が下がっている。雨の量も多く「これは寒い」と思いながら御殿場駅まで車で送ってもらい、無事に帰京した。

▼その翌日のことだ。会社に出てみると、出社時刻が早い営業部の近藤篤君と顔が合った。そういえば、前日は『チャレンジ富士五湖100km ウルトラマラソン』が開催されたはずだ。「近ちゃん、走ったの?」「走りましたよ。伊達さんと一緒に」「富士山の向こう側だよね、雨は」「降ってましたよ」「あの雨の中を走ったの?」「はい、ちゃんと完走しました。伊達さんがいなかったらダメでしたね」。私は「へぇ~」と感心するばかり。近ちゃんの歩く姿がペンギンみたいだ。関節を痛めている。そりゃそうだ。

▼100㎞ウルトラマラソンのその日を綴ってみると――。100km種目は朝5時のスタートだった。その時刻の御殿場は土砂降り。反対側も同じだ。1400名が参加し、BCNからは、スタートラインに近藤君と、中国事業を担当する伊達和久君の2名が立った。「スタート直前で、近ちゃんが握手を求めてきました」と伊達君。それから100kmの走りが始まった。2.5㎞ごとに標識がある。「そのたびに近ちゃんが時計を見て、タイムを伝えてくれるんですよ」。2.5kmを17分45秒で走る。「早過ぎます」「遅いです」と、そのつどペースを調整する。都合、39回の作業だ。これだけでもウルトラ技だ。

▼走り始めて最初の湖は山中湖だ。「スタートして10分で靴の中はびしょ濡れ、雪が溶けた水だから、冷たいんです。足の感覚はすぐになくなりました。山中湖に着いてこれから一周する対岸が見えた時、ウンザリしましたよ」。数歩先を見て走る。寒い、痛いとしか思わない。「つらいとか苦しいとかは思わないようにするんです」。これは極意の一つかもしれない。

▼休憩所のエイドステーションは5kmごとにある。「家族とは3回会いました。58kmを走った時点で、これからいつものフルマラソンを走るのかと思った時には、心も体も重かったです」。それでも家族の励ましでフルマラソンのスタートラインに立った。「そこからがつらかったです。一人だと絶対に走れなかった。近ちゃんはスゴイ」。そのスゴイ中身は二人だけの感動だ。「伊達君は、もう一度走るかい」「私はもう十分です。数年先のゴビ砂漠マラソンを狙ってます」。これと同じ質問を近ちゃんにした。「僕は、来年もう一度走ってみようかな。いえ、ゴビは走りません」。二人は並んでゲートをくぐった。13時間37分51秒。「ゴールして今度は私から抱きつきました」と伊達君。歩く姿はロボットだった。2013年4月21日は大切な想い出の日となった。なんて素敵なドラマなのだろう。(BCN会長・奥田喜久男)

2013年4月26日記

マラソン全行程100㎞の70㎞地点あたり。まだ何とか笑顔を見せる余裕があった

やっとのことでゴールイン。タイムは13時間37分51秒。思わず万歳!

「お互い、よくぞ走りきった」。戦いを終えた二人は、肩を抱き合って歓喜の涙を流した
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