メディアの検閲が厳しくなる一方の米国で、放送禁止用語の限界に挑むメディア界の風雲児ハワード・スターン氏がとうとう罰金地獄の地上波を捨て、FCC（連邦通信委員会）の検閲が及ばない衛星ラジオへと旅立つ。1人のDJの移籍が「ミルトン・バール*の英断に匹敵する“歴史的転身”」とまで騒がれるのはなぜなのか。

「地上波では俺のやりたいことができない。衛星ラジオは未来のメディア」。CBSやMTVなどを傘下にもつ米メディア大手ビーコムとの契約を打ち切り、衛星ラジオ国内2番手のシリウスに2006年1月から5年契約で移籍を決めたスターン氏は発表初日の6日、こう意気込みを語った。

　米国では年初のジャネット・ジャクソンの事件以来、放送内容の規制がめっきり厳しくなっている。宗教団体や市民からの苦情を受け、議会では放送倫理の見直しが検討され、局側は自主規制を導入、FCCは介入を日増しにエスカレートさせている。そんななかでの“スターン移籍”は、まさに時代の流れを象徴する出来事だ。

　日本の読者のために少し解説すると、スターン氏はラジオ史上初めて全裸の女性をスタジオに招いた“偉業”で知られる元祖過激派DJ。伝統のヌードはサイトでダウンロードできるが、その真下に「投票登録しよう」という広告がある辺りがハワード流で、無修正・無編集・無検閲の完全なる言論の自由が氏のモットーだ。

　政治的にはリベラルで、大統領が同性愛者の結婚合法化に反対した頃から熱心な反ブッシュ党となった。長髪に齢50とは思えないスレンダーな体躯。93年出版の自伝は200万部を超すベストセラーとなり、氏自身が主演を務め映画化された。

　テレビに映画にラジオにと引っ張りだこのスターン氏、またの名を「メディアの帝王」という。その売り物はとても活字にはできないような性表現とことばの数々。これをマイクに垂れ流した罪により、過去に受けた罰金の合計は前人未踏の200万ドル台にも上る。

　今年4月にはクリアチャンネルが47万5000ドルの支払いを命ぜられ、傘下6局から氏を即刻降板させた。ビーコムも無傷ではなく、95年には170万ドルという莫大な懲罰金を払っている。

　このように「罰金大魔神」と呼びたくなるような暴言DJなのだが、移籍はリスナー数の伸び悩みに苦しむ万年赤字の衛星ラジオ業界にとっては形勢逆転のチャンス。報道各紙はこれを「メディア革命」と大きく伝えた。

　 「なぜ衛星なのか」だが、衛星ラジオはケーブルテレビと同様、有料配信という性質上、公共放送を監視するFCCの権限は及ばない。「ソプラノ」や「セックス・アンド・ザ・シティ」など近年の高視聴率番組がケーブル出身なのも、こうしたきわものコンテンツを流す場としてここが最適な場だから。「おっぱいポロリ」で大騒ぎする今の地上波でこうした番組は流せない。このダブルスタンダードを地上波製作者たちは「不公平」と非難轟々だが、衛星は衛星で有料という壁があるのだからハンデはお互い様だ。

　既存メディアが扱えない領域を掘り下げて視聴者を引き込みたい衛星ラジオと、公共の電波の制約に限界を感じたハワード氏。移籍は、両者のニーズが噛み合って成立した。

　ところで移籍の影響力だが、氏の視聴者はニューヨークやロサンゼルスを中心に1200万人。対するシリウスの加入者数はたったの60万人で業界トップXM社の4分の1にも満たない。問題はハードを購入し月々の視聴料を支払ってまで彼の声を聴きたがる人がどれぐらいになるかだが、リサーチ会社ジャンコ・パートナーズは「300万人程度」と見る。仮に200万人でも開局以来の大移動に変わりはない。新番組の年間製作費1億ドルを賄うラインは「100万人」（同局）だ。

　ともあれ、リスクを嫌って氏を引き抜けなかったXM社とは対照的に、シリウスは今回、XMと市場を二分する未来の好敵手として知名度を大いに上げた。挑戦すべきタブーのない衛星ラジオでそれでも新味を維持できるのか。ハワード･スターンの新たな挑戦が始まる。（市村佐登美）