富士通の子会社でSIerの富士通マーケティング(FJM、古川章社長)。旧社名の「富士通ビジネスシステム」や、略称「FJB」のほうが馴染みがあるIT業界人が多いかもしれない。FJMは今から約半年前、2010年10月1日にFJBが生まれ変わった姿で、設立からまだ半年しかたっていない。 FJBはかつて東京証券取引所第一部に上場し、年商1500億円を超える力をもっていたSIer。にもかかわらず、新たな社名で再スタートを切った理由は何か。この半年をどのように過ごしてきたのか。記者にとっても、2010年に最も多く取材に通った企業、FJM。設立から半年、決して真っすぐではなかったその道程を、改めて過去の『週刊BCN』記事で振り返る。(木村剛士)
今から約2年前の2009年5月21日、富士通は当時のFJBの上場廃止と完全子会社化を発表した。中堅規模以下の企業をメインターゲットとしたSIerとしてFJBを生まれ変わらせることが、その目的だった。FJBは、もともとSMB(中堅・中小企業)に特化したSIerを謳ってはいたものの、実態は大企業の比率が高く、中堅企業以下からのビジネスは全体の22.5%しかなかった(2010年3月期実績)。グループとしてSMB市場へのアプローチが手薄とみた富士通は、グループ全体でSMB向け事業にてこ入れするために、子会社を含め組織を再編。SMBマーケット開拓の先導役として、FJBに白羽の矢を立てたわけだ。

FJMの中期目標
09年5月21日に発表されたFJBの再出発日は、09年10月1日。しかし実際にFJMが生まれたのは、その1年後だった。「頓挫したわけではない。ただ、時間がかかる話」。当時FJBのトップを務めていた鈴木國明会長兼社長は、その年の12月のインタビューで、再スタートに向けてどのような問題に直面しているのか、難産の経緯を語っている。それはパートナーとの軋轢だった。
鈴木前社長の激白、新体制への移行進まない理由(「週刊BCN」2010年1月25日付 Vol.1318にて掲載)
年が明けた2010年3月18日、FJBは改めて10月1日付けで新体制に移行することを発表した。同月24日にはトップ人事を発表。鈴木会長兼社長が代表取締役会長の職に専念し、新社長には富士通で執行役員常務を務めていた古川章氏が就くことになった。しかし、この時点で鈴木氏が直面していた課題が解決されていたわけではなく、パートナーとの協業モデルも確立できていたわけではない。古川氏にとっては、厳しい出発だったことは間違いない。そして7月14日には、新社名を「富士通マーケティング(FJM)」とするプレスリリースを発信した。
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