富士通(山本正已社長)と日立製作所(中西宏明社長)のコンピュータ・ITサービス事業体制の見直しが進んでいる。富士通は、4月1日、10社あったソフト子会社を新設の2社に集約して、本社役員をそれらのトップに就けた。過去には、保守・運用サービス会社と中核SI会社を完全子会社化しており、子会社を支配する力を強めてきた。日立製作所も子会社の再編に取り組んできた。SI・ITサービス事業を手がける四つの子会社を2社に統合、通信事業子会社は吸収している。グループ全体を統率するために「分散から集中」に方針を変更し、本社主導のマネジメントを重視し始めた。(木村剛士)
主力会社を吸収・統合、支配力強める
富士通が4月1日に実施したソフト開発子会社の再編成は、10社の既存ソフト開発子会社を、同日付で設立した新会社2社に振り分けるものだった。東日本地域、西日本地域の主なソフト開発事業を、新会社「富士通システムズ・イースト」(東日本担当)と「富士通システムズ・ウエスト」(西日本担当)に集約。九州エリアは、2年前の2009年4月に設立した富士通九州システムズが引き続き担当する3社体制に変えた。各社に散らばっていたノウハウの結集と、共通業務を一本化することによるコスト削減、グループの統率力を強める狙いがある。
富士通は、コンピュータとITサービス販売事業で、体制変更を段階的に行ってきた。保守・運用サービス会社である富士通サポートアンドサービス(現・富士通エフサス)、独シーメンスとの折半出資会社でサーバー開発の富士通シーメンス・コンピューターズ(現・富士通テクノロジー・ソリューションズ)を完全子会社化。SI事業の上場会社だった富士通ビジネスシステム(現・富士通マーケティング)の上場も廃止させて、100%出資に切り替えた。そして今回、ソフト開発子会社をまとめるに至った。
富士通は、2003年に社長に就任した黒川博昭氏以降、歴代のトップが「構造改革」という言葉を頻繁に使い、組織の見直しを進めてきた。山本社長は「構造改革に終わりはない」と語っているものの、今回の新ソフト開発会社の発足で、「保守運用サービス」「SI」「ソフト開発」という主要部門の体制変更が終わったことになり、一段落ついた印象だ。
日立も、コンピュータとITサービス事業体制の再構成に活発に動いている。とくにこの3年間は慌ただしい。まず09年に、通信機器開発・販売の日立コミュニケーションテクノロジーを吸収し、10年と11年にはSIとITサービス事業子会社の再編を断行した。

富士通と日立のIT関連の主な組織再編
10年には、SIerの日立システムアンドサービスと、ソフト開発の日立ソフトウェアエンジニアリングを統合して日立ソリューションズを立ち上げた。11年には保守・運用サービスの日立電子サービスと、データセンター(DC)を活用したITサービスおよびSMB(中堅・中小企業)向けSIに強い日立情報システムズの合体で、日立システムズが誕生した。新会社2社は、ともに年商が2000億円を超える規模で、かなりの大型合併を立て続けに進めてきたことになる。

富士通のコンピュータ・ITサービス事業の主な子会社
産業全体が成長している時期には、分社化して事業を細分化する傾向が強く、停滞・縮小期に入ると吸収・統合の方向に進むのが一般的な経営戦略だ。調査会社のIDC Japanが示した最新の国内ITサービス市場調査結果によると、11年から16年までの年平均成長率(CAGR)は、1.8%とほぼ横ばいだ。富士通と日立という大手IT企業が、国内のコンピュータとITサービス事業部門を統合・集約する動きは、国内IT産業全体が停滞し、転換期に入ったことを改めて印象づけている。
表層深層
「正直にいえば、現場で合併効果を感じるのはこれからだろう。同じ会社にはなったが、組織はまだ縦に割れている」。最近、SIer同士が合併して誕生した大手SIerのある社員はこんな印象を抱いている。規模は、日立システムズや日立ソリューションズにひけをとらない。
企業規模が大きければ大きいほど、互いの長所を組み合わせて相乗効果を発揮するまでに時間がかかるのは、自明の理。企業文化が違えば、当然ながら軋轢が生じる。マイナスに働くこともあるのが、企業の合併だ。日立の子会社にもこうしたリスクはあるだろうが、それでも今後の市場環境を考えて、大型合併に踏み切った。とくに、保守サービスとDC関連サービスを組み合わせた日立システムズは、クラウド事業を伸ばす方法を考え抜いたうえで設立された戦略子会社のように感じられる。
富士通では、ソフト開発子会社の集約が大きなポイントだ。「富士通グループのなかでは、長年いわれ続けていた課題」(富士通子会社幹部)に、ようやく答えを出した格好。ただ、この戦略が奏功するかどうかも、また未知数だ。「富士通のソフト開発子会社と一括りにいうが、もともと富士通の100%子会社だった企業もあれば、他社と共同で設立した会社もある。設立から数年経って富士通に買収された会社もある。成り立ちが違い、人事・評価制度も異なる。それが少なからず時間がかかった理由」(子会社社長)である。両社が断行した過去にない挑戦は、これから正念場を迎えるだろう。