京セラ コミュニケーションシステム(KCCS)の東京支社で、データセンターサービスの営業を担当している萩元大作さん。入社2年目に「ベストセールスマン賞」の新人賞を、2010年には最優秀賞を受賞したスーパー営業マンだ。自社商材に自信をもって、対等に客先と接する営業スタイルで、大型案件を数多く受注している。(構成/ゼンフ ミシャ 写真/大星直輝)
[語る人]
●profile..........萩元 大作(はぎもと だいさく)
2001年3月、北海道東海大学国際文化学部を卒業後、KCCSに入社。
1年目は、回収代行サービスのユーザー企業に対する問い合わせ対応やサポート対応に携わった。その後、コンテンツプロバイダなどに向けたデータセンターサービスやアウトソーシングサービスの営業活動に従事。2012年1月に、ソリューション営業2部のエンタープライズサービス営業課長に就任した。
●会社概要.......... 京セラグループのシステムインテグレータ。1986年に社内ベンチャーとして設立され、95年、京セラ電子機器と合併してKCCSとしてスタート。従業員数は2667人。
●所属..........ソリューション営業統括部
ソリューション営業2部
エンタープライズサービス営業課長
●営業実績.......... 「2002年度上期 ベストセールスマン賞 新人賞」「2009年度 ベストセールスマン賞 最優秀賞」を受賞。
●仕事.......... 現在は、データセンターサービスの営業を担当している。既存のユーザー企業に対する提案活動のほか、新規開拓に取り組んでいる。また、課長として、社内の人材育成に携わる。部下のセールスに同行し、営業トークなどについてアドバイスしている。
常に自社の立場を守る
私は、とくに営業を志望して、KCCSに入ったわけではない。大学が文系だったので、営業に配属されるだろうと覚悟して、入社を決めた。しかし、私はへりくだるのが苦手。だから、営業職が本当に自分に合うかどうかがすごく不安だった。あちらこちらで頭を下げないといけないからイヤだ──。営業に対して、そういうイメージを抱いていたのが正直なところだ。
1年目は、予想通り営業部に配属された。しかし、業務は、電話でお客様からの問い合わせに対応するといった内容だった。営業というより、むしろサポート役というわけだ。
当時を振り返ってみれば……。昼食で外出して1時間だけでも席を空けると、帰って来たら、デスクに不在連絡が山ほど置いてある。朝から晩まで電話で話すという忙しい日々だった。でも、お客様と密にコミュニケーションが取れて、貴重な経験になったと思う。先方からはいろいろと無茶なこともいわれたが(笑)。1年目のこの仕事を通じて、対話力や交渉術など、ビジネスの基本スキルをしっかりと学んだ。今でも、仕事に生かしている。
部署が変わったのは、2年目。データセンター営業を担当することになった。今度こそ本格的な営業の仕事だ。当時は、KCCSのデータセンター事業が立ち上がったばかり。私は右も左もわからないまま、とにかくセールス活動に励んだ。
そのとき、上司から、心に響くアドバイスをもらった。「値引き交渉など、先方の要望をまともに受けてはいけない。自社のビジネスを守ることを第一に考えて、お客様と対等に接することを意識せよ」と。上司の言葉を胆に銘じながら、大手のお客様にデータセンターの集約を提案した。商談を通じて、めげずに当社の立場を守りつつ、受注にこぎ着けた。入社2年目に大型案件を受注したことで、会社から「ベストセールスマン賞」の新人賞をもらうことになった。
その後も、順調に実績を上げることができた。しかし、営業担当になってからずっと、先輩からお客様を引き継ぐかたちで仕事をしてきた。だから、自分で開拓したお客様は、1社ももっていなかった。正直、ものすごく行き詰まりを感じていた。それが爆発して、2008年頃に、この会社を辞めようと思った。上司にも「もう、辞めます」と伝えた。
ところが、そう言った瞬間に、上司や役員から「何とか一緒に頑張ろう」と暖かい言葉をかけてもらった。経営層に、営業マンではなく、人間としてみられていることを感じた。退職を考え直し、自分で一つ大きなものをゼロから開拓しようと意思を固めた。私のキャリアのなかで、ターニングポイントになった。