日本の企業は、海外市場に活路を求めて積極的に進出している。なかでも、人件費が安く、高い経済成長率が見込めるASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国に照準を合わせる日系企業は多い。その動きはIT業界も同様で、先進的なITベンダーが積極的にASEANへ進出している。この特集では、とくに動きの激しいシンガポール、タイ、ベトナム、マレーシアの4か国をピックアップし、各国のIT産業事情と、海外進出にチャレンジする日系ITベンダーの動きを追った。
【SINGAPORE】ITのニーズは先進国と同様、クラウドが主役
シンガポールの人口は約500万人で福岡県と同程度、国土は約700km2で東京23区とほぼ同じ。経済成長率は5%未満で、ASEAN加盟国のなかでは低い。しかし、シンガポールはASEANの中枢をなす国で、北米や欧州、アジアの企業がこの地に拠点を構える。シンガポールでは、今、日本と同様にクラウドに対するユーザーの関心が高い。そのニーズをつかもうと、日本のクラウドベンダーが進出する動きが出てきた。
人口は少なく、国土も小さいシンガポールがASEANの中心にいるのは、シンガポール政府が外資系企業を積極的に誘致したことが大きい。中国やインドのように安価な労働力は期待できず、国土が狭くて大規模な工場を数多く建てることも難しいシンガポールは、「地域統括会社(リージョナルヘッドクォーター)」の誘致を進めた。地域統括会社とは、他の国に設けたグループ企業に対して、持株機能や金融面での統括機能、販売や生産、物流、研究開発・人事・法務といった各業務の事業を統括する機能を有する会社のことをいう。シンガポール政府は、外資系企業が地域統括会社を設けた場合、法人税の免除といった特別な待遇を与え、多くの外資系企業の誘致に成功した。日本貿易振興機構(JETRO)が日系企業に行った調査によると、回答企業の63.0%が「シンガポール法人が、地域統括機能を保有、またはその計画がある」としている。大企業をさまざまな国から呼び込むことに成功した結果、シンガポールの一人当たりのGDPは、ASEANのなかでNo.1になり、日本をも上回った。
シンガポールには、大手の外資系企業が数多く拠点を構えるだけに、求めるIT環境は他のASEAN加盟国よりも先進的だ。その水準は欧米や日本のクラスで、今盛り上がっているのは、クラウドだ。今年5月、シンガポールで最大のクラウドイベント「Cloud Asia」が開催され、政府関係者やITベンダー、ユーザー企業の関係者500人が各国から集まった。このイベントを企画・運用するIBC Asiaのリンダ・ワン・ジェネラルマネージャーは、「シンガポールの企業は、今最もクラウドに関心を寄せている。『Cloud Asia』は、今回が2回目だが、来場者数は前回の2倍」と語り、手応えを実感している。シンガポールは、一見すると成長の余地がそれほどないように思えるが、投資力のある大手のユーザー企業も多いという特徴がある。母数は小さいが、一つひとつの案件は大きいということだ。

「Cloud Asia」の展示スペースはユーザー企業の担当者でごったがえし、クラウドへの関心が高いことを印象づけた
●外資に挑む日系クラウドベンダー IIJ
シンガポールを拠点にASEANを深耕

「Cloud Asia」で講演した松本光吉執行役員
インターネットイニシアティブ(IIJ)とその子会社でグローバル事業を担当するIIJグローバルソリューションズは、今年5月にシンガポールで開催された「Cloud Asia」に初めて出展した。IIJは、中期経営計画で、日本以外のビジネスを伸ばすことを明確にしている。米国と中国、イギリス、そしてシンガポールにデータセンター(DC)を設置。クラウドサービスを世界で販売する基盤を築いた。IIJは、地域統括会社をシンガポールに置くユーザー企業が多いことから、IT環境もシンガポールに設置するケースが増えると予測。ASEANビジネスの中核拠点として、シンガポールを選んだ。
「Cloud Asia」にスポンサーとして参加した日系企業はIIJだけだった。IIJの強みや世界戦略を講演した松本光吉・執行役員マーケティング本部長は、「シンガポールでのクラウド需要は日本と同水準で旺盛だ。シンガポールでは、米アマゾンなどのクラウドサービスの人気が高く、正直にいえば、日本のクラウドベンダーの存在感は薄い。だが、品質の高さと日本での実績を伝えれば、巻き返すことができるはず。臆することなくチャレンジする」と意欲を示し、シンガポールでのビジネス拡大を信じている。
(取材・文/木村剛士)
【THAILAND】製造業の工場建設ラッシュ、IT需要も増加
JETROの調査によれば、加盟企業のうち海外に拠点をもつ企業は51.5%に達している。設置国の上位3か国は、中国と米国、そしてタイ(2012年3月時点)。タイは、2年前に発生した洪水被害から復旧が進み、今年は工場を新設する外資系企業が相次いでいる。タイへの日系企業の関心が高い理由は、親日派が多く、人件費が安いだけではない。タイに次ぐ工場設置エリアとして、カンボジアや民主化したミャンマーに進出するきっかけを隣国のタイから探るためだ。それと並行してITベンダーの進出も相次いでいる。
タイのバンコクに拠点を置くSIerの話を総合すると、タイに事業所を置く日系企業は規模を問わず7000社程度。日本の製造業が、中国やASEANに製造拠点を設けるケースが増加しており、タイでも急増している。日系ユーザー企業のレント・タイランドは、15分野2000アイテムの日本製産業機器をレンタルする事業をタイで展開している。工場建設ラッシュが続き、レント・タイランドでは、品質の高い日本製の高所作業用機器や特殊小型機器の貸し出しサービスが急増中だ。
今後は、タイだけでなく、インドネシアやカンボジア、ベトナムなど、複数のASEAN加盟国にまたがって工場を置く日系企業は確実に増える。こうした製造拠点の分散化を見定め、東洋ビジネスエンジニアリング(B-EN-G、石田壽典社長)やSIerのITホールディングス(ITHD)グループのインテック(中尾哲雄CEO)など、日系ITベンダーが首都バンコクで活発に動き始めている。
タイに進出する日系ユーザー企業の場合、「多くは中国や、タイ以外のASEANに設置する拠点も含めて、総合的にIT環境の面倒をみてほしいと考えている」というSIerは多い。アジアの各拠点を結び、リアルタイムに状況を把握しようというニーズが高い。ただ、現地拠点には最低限の人員ですまそうとする。そのため、情報システム担当者が不足する環境でも使えるITシステムを求めるのだろう。
前出のレント・タイランドは、B-EN-Gの「A.S.I.A.(エイジア)GP」の導入を昨年9月に決定し、帳票レイアウトやシステム間連携の機能追加などを経て、今年1月にシステムを本稼働させた。システム面もさることながら、導入の決め手となったのが、サポート力だった。「現地でタイ語、日本語、英語でサポートが受けられ、パートナーであるインテックの現地法人であるインテックシステムズバンコクや東洋ビジネスエンジニアリングタイランドから直接指導してもらえる」というのが採用を決めた理由の一つになった。
タイでは、法人税免除などが得られるBOI(Board of Investment、投資優遇制度)を取得するケースが増えている。システム提供する場合、BOIを習得して日系企業のニーズを踏まえた人員・開発体制を組む必要がある。

タイの工業地帯は洪水で大きな被害を受けたが、現在は以前のように復旧しつつある
●製造業向けSIで実績積むISVとSIer B-EN-Gとインテック
現地日系企業の要望を取り入れる
東洋ビジネスエンジニアリング(B-EN-G)は、日本国内でトップシェアを誇る生産管理システム「MCFrame」と、海外拠点向けERP「A.S.I.A.(エイジア)」を、ここ数年で中国やASEANを中心に世界22か国で販売、600社以上に納入した。ユーザーのほとんどが、日系の製造業だ。
海外拠点での導入が増えるのと軌を一にして、B-EN-Gも海外の現地法人を設立している。現在、製品導入が急速に増えている中国・上海とタイ・バンコク、シンガポールに現地法人を置いている。全販売件数の85%が間接販売なので、現地をよく知る日系販売パートナーとの代理店契約を増やしている。B-EN-Gの羽田雅一取締役プロダクト事業本部長は、「製造拠点の現場で不良品を迅速に排除するための機能を追加するなど、工程管理などの部分でスマートデバイスとクラウドを連携させたソリューションの展開も検討中だ」と、タイのユーザー企業の利用環境の変化に応じて、新機能を追加する方針だ。
一方のインテックの現地法人、インテックシステムズバンコクは、生産管理やPOS、ERPなどの「クラウド・サービス」、現地日本人スタッフによるヘルプデスクとコールセンターサービスの「BPOサービス」や「ITサポートサービス」、ASEAN諸国での通信やコンテンツビジネスの事業化企画の「通信サービス企画」で、多言語・多通貨・クラウド・マルチカンパニーのキーワードをカバーするソリューションを提供中だ。
同社の中智弘社長は、「ASEAN自由貿易地域(AFTA)の地域経済協力圏が形成され、2015年には域内の関税がゼロになる」と期待を膨らませている。
(取材・文/谷畑良胤)
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