大手SIerのアジアビジネスに異変が起きている。これまでの中国市場重視だった姿勢が、今年に入ってASEAN重視へと変わりつつあるのだ。シンガポールやタイ、マレーシアなどでの拠点開設やM&A(企業の合併と買収)を行う動きが活発化。一方で、中国での新規拠点やM&Aの動きは相対的に目立たなくなっている。日系SIerの多くは、既存顧客である日系ユーザー企業のIT投資に依存する割合が高いことから、SIerのこうした動きは日系ユーザー企業の投資動向を間接的に反映しているものとみられる。そうした傾向と連動して、ミャンマーとベトナムをASEANの生産拠点に位置づける動きも出てきた。(安藤章司)
今年に入って主要SIerのASEAN進出が加速している。これまでASEANに自社で拠点をもっていなかった日立システムズは、4月1日付でマレーシアの有力SIerと合弁会社を立ち上げ、一気に5拠点を確保した。今年中にはベトナム拠点の開設も予定している。伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)は、米国ITベンダーのシンガポールとマレーシアの子会社をM&Aするかたちで、今年2月に2拠点を新しく手に入れた。
ASEAN進出の流れを加速させたきっかけの一つは、2012年9月の尖閣諸島を巡る日中の政治摩擦であったことは間違いないだろう。摩擦発生の直後、SIer幹部の多くは「半年ほどたてば事態も沈静化して、両国の新政権の施策によって改善する」とみていた。だが、半年以上が過ぎた今も状況は必ずしも楽観視できるとは言い難い。
日系SIerの海外での主要顧客である日系ユーザー企業の投資動向も影響している。情報サービス業は、過去の経験に照らして、ユーザー企業のビジネスの変化からおよそ半年遅れで影響が出てくる。政治摩擦後の混乱のなかで、ユーザー企業の「ASEANへのシフト」の流れが始まったとするならば、その影響が出てくるのは今年4月以降。カネ(IT投資)の流れに敏感なSIerが、こうしたユーザー企業を先回りするかたちでASEAN拠点を次々と開設して、受注を増やす動きがみられる。もう一つの要因は、中国における対日オフショア開発の先行きが厳しくなっている点だ。「アベノミクス」以来の円安傾向と、年率10%ともいわれる中国の人件費上昇によって、中国でのソフト開発のコストメリットが見出しにくくなっている。ましてやASEANでの受注を拡大させるにあたって、すでに高コストになりつつある中国でソフトを開発していては、ASEANでの競争力が損なわれてしまう。
そこで注目が集まるのは、ASEANのなかでも人件費水準が低いミャンマーとベトナムである。昨年末に開業したNTTデータミャンマーは、この先5年で500人体制への拡大を目指す。ITホールディングス(ITHD)グループのアグレックスは、今年7月をめどにベトナム有力SIerのFPTソフトウェアと合弁会社を設立する予定で、2015年をめどに500人規模へ拡大していく計画を立てている。ASEAN域内のシンガポールやマレーシア、タイといった経済優等国で獲得したSI案件を、同じ域内のミャンマーとベトナムで開発すれば、人件費などの直接的なコストの抑制はもちろんのこと、オーバーヘッドロスも最小限にとどめることができる。
中国は今後どうなるのか──。中国に約4000人のスタッフを展開するNTTデータの岩本敏男社長は、「人件費高騰の問題はあるが、これまでの中国事業を縮小させることはまったく考えていない」と、路線を変えないことを強調する。中国主要6都市に拠点を展開しているITHDの前西規夫副社長は、「伸び盛りの中国IT市場での事業縮小はまったく考えていないが、ASEAN市場も活況なので経営資源をASEANにも一部振り分けている」と話す。すでに投資を重ねてきた中国ビジネスへの影響を最小限にとどめつつ、日系ユーザー企業のASEANシフト分も手中に収めたい狭間で、経営資源をどのように配分していくのかの難しい選択を迫られている。
表層深層
中国とASEANを名目GDPで比較すると、中国のほうが3倍余り大きい。しかし、だからといって日系ユーザー企業や日系SIerにとって3倍以上の売り上げにつながるかといえば、必ずしもそうでないところに中国ビジネスの難しさがある。さらに、日系SIerのアジアビジネスは、現地に進出している日系ユーザー企業絡みのビジネス比率が高く、日系ユーザーが「ASEANシフト」を進めれば、否が応でも追随せざる得ない事情もある。
ある大手SIer幹部は、「日中の政治摩擦の発生後、中国のビジネスパートナーや顧客から『心配することはない。商売は続けられる』と、異口同音に励まされたが、一方で中国の国家体制からくる巨大な圧力はいかんともしがたい」と話す。かつて何度も反日気運が高まっても、総じて日系企業の中国ビジネスは伸びてきた。だが、少なくともここ半年から1年をみる限りは、「ASEANシフト」が目立つ。
アジア最大市場の中国ではあるが、強権的な政治体制が引き起こすリスクは無視できない。ASEAN市場は相対的に小さいものの、ミャンマーの民主化に象徴されるように政治的な価値観を共有しやすいうえ、シンガポールやマレーシアのようなイギリス連邦(コモンウェルス)は欧米の商慣習と通じる点が多く、ビジネス環境も良好だ。背後には2億4000万人の巨大人口を抱えるインドネシアも控えている。それぞれの市場特性やリスクを踏まえて、投資配分を柔軟に変えていく必要がありそうだ。