従業員のデジタル体験の向上を目的にしたDEX(Digital Employee Experience)ツール市場に、国内外のベンダーが相次いで参入している。システムの安定稼働や運用効率化を主目的とした従来の管理ツールと比べ、ユーザーである従業員の目線を拾ってIT環境改善に貢献することを打ち出しており、従業員の生産性や定着率向上、IT部門の負担軽減の効果もあると説く。DEXの概念は欧米で先行。日本での認知は限定的で、定着するかは未知数だ。ツールの特徴と戦略について識者やベンダー各社に聞き、国内市場での可能性を展望した。
(取材・文/春菜孝明、南雲亮平)
APMやUEMから発展 企業の成熟度が浸透を左右
業務用PCが頻繁にフリーズする、Web会議の音声が途切れる、特定のアプリケーションの起動や応答が遅延するーー。誰もが経験するデジタル環境の穴。端末を利用する本人しか認識しておらず、対処せずに放置されることも多い。こうした一つ一つの積み重ねが、デジタル体験の満足度を下げる要因となっている。
DEXツールはこの課題の解決を掲げている。調査会社の米Gartner(ガートナー)は「企業が提供するテクノロジのパフォーマンスと、それに対する従業員のエクスペリエンスを測定し、継続的に改善することを支援する」と定義する。具体的には、エンドポイントやアプリケーションの利用状況のデータ、従業員の感情などを収集、分析し、課題の発見と対応につなげる。各社はAI機能を実装し、問題の自動修正や顕在化していない問い合わせの防止も可能だと踏み込む。
IT環境のパフォーマンスや安定性を測るAPM(Application Performance Management)やUEM(Unified Endpoint Management)に比べ、ユーザーがシステムを使いこなしているかどうかの指標を重視している。実際、APMやUEM、DEM(Digital Experience Monitoring)に、従業員からのフィードバック機能を加えて発展させたDEXツールが多い。
ガートナージャパン
林 宏典 ディレクターアナリスト
DEXツールが台頭する背景について、ガートナージャパンの林宏典・ディレクターアナリストは、コロナ禍を機に浸透したリモートワークと業務のデジタル化で「デジタルワークプレイスが業務遂行に欠かせない場になった」と説明する。2022年に起きた米Microsoft(マイクロソフト)の「Teams」の大規模障害を例に「(障害の影響で)世界中のビジネスが止まった。テクノロジーの安定性やパフォーマンスがビジネスのスピードと継続性にものすごく響く時代になった」と強調する。
さらに、人手不足によって人材獲得競争が激化していることも要因にあるという。例えば、プライベートで生成AIを使いこなしている従業員が、会社でAIツールの使用を禁止されると不満を持ち、退職する可能性がある。優秀な人材に長く働いてもらうためには、デジタル環境を整える必要があるという構図だ。
国内での浸透に向けた課題は、企業側の成熟度にあると林アナリストは読む。多くの企業が部門間連携の不足や責任の分散により、環境改善のアクションができない段階と説明。そこで、まずは現在運用している情報収集や管理のツールでPDCAを回すことで、従業員の満足度を上げることを提唱している。
スイスNexthink日本法人
2000万台接続のスケールメリット生かす
04年創業でグローバルに約1300社の顧客を持つスイスNexthink(ネクスシンク)は7月、日本法人の設立を発表した。プラットフォーム型の「Nexthink Infinity」を日本語対応し、市場開拓を本格化している。
スイスNexthink
イアン・バンクロフト CRO
8月に記者会見した本社のイアン・バンクロフト・CROは、同社の製品は世界で2000万台以上のエンドポイントに展開されていると強調。スケールメリットとして、グローバルで収集したテレメトリーデータから、ソフトウェアがどんな環境下で安定稼働するかを把握しているため、最良のバージョンを判断できると解説する。「そのアップグレードは実施すべきではない」「今回はスキップすべきだ」といった具体的な助言が可能になるという。
他社との差別化要素について、日本法人の萩野武志・ジャパンプレジデントは開発への注力を挙げる。全従業員の4割が開発に従事し、製品への要望に応えるため5週間に1回、新機能をリリースしている。ツールの進化を通じて、最終的にはIT部門への問い合わせやタスクがなくなる「チケットゼロ」(萩野プレジデント)を目指している。
スイスNexthink 日本法人
萩野武志 ジャパンプレジデント
ツールが力を発揮するのは生産性低下が業績に直結する「高付加価値な人材が多い業界」(バンクロフトCRO)とし、幅広く導入を目指す。グローバルでニーズがあるのはエンドポイント数が5000以上の企業だと明かし、国内でもエンタープライズ向けに販売を計画する。従業員数1万人以上にはダイレクトタッチでアプローチし、同5000人、2000人以上の企業に向けては直販に加え、MSP(マネージドセールスプロバイダー)やリセラーといったパートナー連携で展開する両輪を回していく。
独TeamViewer日本法人
英DEXベンダーを買収 リモート接続と相乗効果
リモート接続ソリューションを提供する独TeamViewer(チームビューワー)は1月、DEXベンダーの英1E(ワンイー)の買収を完了し、「TeamViewer DEX」として提供を始めた。
このDEX機能をデジタルワークプレイス管理プラットフォームに統合した「TeamViewer ONE」では、IT機器のリモート接続や遠隔監視・管理、DEXを単一のライセンスで利用できるようになった。ワンイーのCEOも務めた独チームビューワーのマーク・バンフィールド・CROは「チームビューワーの業界最高水準のリモート接続機能と、ワンイーのリアルタイムモニタリングや自動修復機能を組み合わせたイノベーションと機動力へのコミットメント」がもたらされたとし、相乗効果を強調する。
独TeamViewer
マーク・バンフィールド CRO
今回の統合は自律型エンドポイント管理(Autonomous Endpoint Management、AEM)への布石に位置付ける。AEMはIT資産管理のライフサイクル全体を完全に自動化するもので、同社ではAI主導の管理を標榜する。例えばAEMに必要な自動パッチ適用は、UEMツールの「Intune」を提供する米マイクロソフトと協力して実現可能と見通す。
「TeamViewer DEX」は大企業向けのフルスイートと、中小企業向けに設計した「Essentials」を展開。DEXはアジア全体でも比較的新しい概念だとして、意識醸成に向け、導入によって投資効果を得ている欧米企業の事例を紹介する戦略だ。日本法人のTeamViewerジャパンは18年に設立され、25人以上のスタッフが国内市場を担当する。バンフィールドCROは「ディストリビューターやリセラー、ローカルパートナーと関係を深め、DEX分野で存在感を高めていく」と意気込みを示す。DEXが最も効果を発揮する領域を一緒に模索していくともコメントした。
日本HP
自社ユーザーにアプローチ「Future of Work」をリード
日本HPは7月から「HP Workforce Experience Platform(WXP)」を展開し、HP製品のユーザーへのアプローチを図っている。一部を除いて複数メーカーの機器が混在していても利用できるが、同社製のPCやプリンター、Polyブランドの会議機器であれば、より深いレベルでの管理と最適化が可能になるという。画一的な使用年数でPCを交換するのではなく、個々のデバイスのパフォーマンスや従業員のフィードバックに基づいて最適な交換時期を提案する「スマートPCリフレッシュ」機能などを提供している。マルチベンダーへの対応も順次進める。
WXPは米HP(エイチピー)が4月にグローバル向けに先駆けて発表し、7月25日の日本での発表段階では「世界で数百社に導入」されているという。2400万以上のエンドポイントからデータを収集し、AIを活用して分析しているとする。開発は約8万台のHP社内端末での運用実績に基づいて行われた。
主なターゲットは複雑なIT環境を持つ大企業だが、資産管理機能は専門ツールを持たない中小企業でも有用だと説明。機能に応じた3段階のプランを用意し、最上位ではAI機能を充実させている。販売形態も▽顧客が自社で運用する「セルフマネージド」▽認定パートナーがWXPをサービス基盤として顧客のIT環境を管理する「マネージドサービス」▽HP自身が提供するIT環境マネージドサービス「HP Managed Device Services」─と分けている。
日本HP
前田悦也 本部長
WXPは、新しい働き方を支援する同社の事業コンセプト「Future of Work」の実現をリードする役割を担う。ワークフォースソリューション事業本部の前田悦也・本部長は「(ユーザー企業の)IT部門をコストセンターからビジネスの推進力へ変えていきたい」と述べる。
従業員アンケート 回答増の工夫も
デジタル従業員体験の向上には、従業員が抱えるIT環境への要望の受け止めが欠かせない。しかし、アンケートを配信しても回答が少ないと改善に生かせないという課題がある。
ネクスシンクのツールでは、従業員PCに表示されるアンケート配信のポップアップに、社内担当者の顔写真を表示できる。こうすることで応答率が上がるという。日本HPは、特定のインシデントが発生しているユーザーに絞って通知やアンケートを送信し、自分事として回答しやすくなる工夫を凝らす。
IT部門ではフィードバックを集めても体系化できないといったジレンマを抱えがちだが、チームビューワーは従業員がITに対して感じているストレスや不満をキーワードとして抽出して可視化。改善の過程に役立てることが可能だ。