三菱電機のデジタル基盤である「Serendie(セレンディ)」が、新たな段階へと入る。米Nozomi Networks(ノゾミネットワークス)を完全子会社化し、OT領域におけるセキュリティーを強化。Serendieで目指す、データを活用した「循環型デジタル・エンジニアリング企業」への変革を加速するための地盤を確立することになる。Serendieの新たな一歩が持つ意味を探った。
(取材・文/大河原克行、編集/藤岡 堯)
Serendie関連事業は、FA(ファクトリーオートメーション)やビル、発電、鉄道から、空調をはじめとする家電に至るまで、幅広い事業で得られるデータを基盤上で集約・分析し、事業横断型の新たなソリューションを創出する試みだ。個別のソリューションから集めた顧客の利用データを活用し、顧客の潜在課題やニーズを把握した上で、ハードウェアの進化や統合的なソリューションの開発を図り、顧客へ価値を還元する。この繰り返しによる事業の成長・高度化が循環型デジタル・エンジニアリングの目指す姿であり、Serendieはこれを実現するための基盤かつ成長戦略の軸となる。
漆間啓社長CEOは、「三菱電機は、デジタルを活用したイノベーティブカンパニーに変革していく」との方針を示しながら、「三菱電機の強みはコンポーネント。これに、Serendieによるデジタルを掛け合わせることで、成長することができる。既存事業に対して、Serendieをしっかりと活用する方向へと抜本的に転換していく」と語る。
漆間 啓 社長CEO
Serendie関連事業は、コンポーネントから集めたデータを活用して顧客の課題を見つけ、解決策を提供するデータ活用ソリューション事業と、収集したデータを基にコンポーネントを進化させる事業の2軸で展開される。
データ活用の一例として、2024年に提供を開始した熱関連トータルソリューションが挙げられる。同社はビルオーナーや製造業に対して、空調機器や給湯機器などのコンポーネントと共に、保守サービスも提供している。ここでSerendieを活用すると、他社製も含めた複数コンポーネントにおけるエネルギーを収集・分析できるようになり、三菱電機のエネルギーマネジメントシステムによる需要予測に基づいて、設備全体を考慮した最適な省エネルギー運転を実現できるという。
さらに進化すると、化石燃料を利用する設備の稼働を最適化したり、蓄電池の活用、拠点間電力融通による再エネ活用を促進したりして、顧客の脱炭素経営支援も可能になるとする。
並行して、同社の機器が現場でどのように利用されているのかを分析し、実態に合わせたかたちで、空調機器などの各種コンポーネントの進化を図るという。
30年度に売上高1兆円超
同社はSerendie関連事業で、30年度までに売上高1兆1000億円、営業利益率は23%を目標に掲げ、これを推進するために、24年度に1万人のDX人材を、30年度には2万人に増員する計画を同時に発表している。25年度の売上高は6800億円を予定。そのうち、データ活用ソリューション事業で約3000億円、コンポーネント事業で約3800億円を見込む。中長期的にはソリューション領域を成長させる方針だ。
推進体制の強化に向けては、25年4月にデジタルイノベーション事業本部を新設。DXやAI領域における最新技術を活用し、事業や社内業務を変革させる部門と、情報システムサービス事業を担うグループ会社3社を統合した三菱電機デジタルイノベーションを同事業本部に集約。分散していた4000人のDX人材を集約し、Serendie関連事業への対応力強化と、社内業務のプロセス改革に取り組んでいる。
米Amazon Web Services(アマゾン・ウェブ・サービス)や米Microsoft(マイクロソフト)といったハイパースケーラーとの協業や、外部のAI技術を業務や製品に適用していく。AIの活用については、データを活用することで、生産状況や生産設備の状態に合わせて、正確で、迅速な判断、動作を行う自律的な工場オペレーションを実現。生産管理AIが、生産計画AIや機器制御AI、保全AIといった現場に近い複数のAIエージェントを取りまとめて、最適な解決策を提示するバーチャル生産管理者の開発を進めていることも明かす。
成長戦略の切り札
Serendieの成長戦略において、切り札と位置づけるのが、25年9月に完全子会社化を発表したノゾミネットワークスである。買収金額は8億8300万ドル(約1290億円)で、三菱電機による買収案件として過去最大だ。同社は27年度までの3年間で1兆円のM&A投資枠を設定しており、今回の買収はその中に含まれている。すでに株式の7%を出資しており、残り93%を取得し、25年中に買収を完了する見通しだ。
武田聡・専務執行役CDOは「Serendieにとって重要なピースの一つになる。OTセキュリティー事業とノゾミネットワークスを三菱電機のデジタル戦略の核に位置付け、Serendie関連事業全体の強化を図っていく」と語る。
ノゾミネットワークスは、16年に設立されたOTセキュリティーソリューションベンダーで、本社は米サンフランシスコ、開発拠点をスイス・メンドリシオに置く。従業員数は315人。24年の売上高は7500万ドル(約110億円)。75カ国1000社以上への導入実績を持ち、売上高の約4割が米国、約3割が欧州という。
「OTセキュリティー分野では、グローバルトップクラスの技術力を持つ。持続的に業界初のイノベーションを生み出す力と、幅広いOTセキュリティーソリューションを持っている点が強みである。ノゾミネットワークスのOTセキュリティーは、ネットワーク上の異常をいち早く検知し、顧客をサイバー攻撃から守ることができる」(武田専務)。
ワイヤレス通信をはじめとしたOT環境からのデータ収集技術、リアルタイムでの異常検知を可能とする侵入検知技術、多様なOTおよびIoTデバイスを網羅する可視化技術、AIを活用した高度な分析技術を持つほか、サブスクリプションモデルを中心に、高い収益基盤を構築。SaaSの成長が著しく、全社粗利率は70%以上を誇る。
ただ、30年度に売上高1兆1000億円を目指すSerendie関連事業の目標を踏まえると、売上高約110億円のノゾミネットワークスの影響力は小さいように思える。なぜノゾミネットワークスが切り札になるのだろうか。
その理由は大きく4点ある(表参照)。一つが、OTセキュリティー市場の急拡大である。25年に2兆9000億円が見込まれる市場規模は、35年には15兆1000億円になると予測されており、同様に、ノゾミネットワークスも高い成長を見込んでいる。22年からの年平均成長率は33%と高い実績を誇り、今後も高い水準を維持する考えだ。
武田専務は「OT領域は止めることが許されない重要な設備だが、レガシーシステムが多く、脆弱性を抱えた機器がサイバー攻撃の標的となっている。その被害は極めて深刻である。国際標準としての規格化や各国の法整備が進んでおり、今後の市場成長が見込まれる領域だ」とする。今回の完全子会社化により、三菱電機はOTセキュリティー事業の売上高を、今後10年で10倍にし、「グローバルナンバーワンのOTセキュリティーソリューションプロバイダーを目指す」と宣言する。
また、両社の顧客基盤を生かしてクロスセルを展開する計画も打ち出している。ノゾミネットワークスは、全世界で製造業やビル、インフラなどの各領域に導入実績があり、これらの顧客接点を活用して、Serendieによるグローバル展開に弾みをつけたい構えだ。
加えて、ポートフォリオを拡充できる点も見逃せない。三菱電機が持っているリスクアセスメントから、セキュリティー対策、運用に至るまでのOT領域の知見と、ノゾミネットワークスの可視化技術、侵入検知のセキュリティー技術、AI活用の組み合わせによって、堅牢なセキュリティーソリューションの提供や、安全性と常時稼働の両立、AIを活用した分析支援サービス、OTでのドメインナレッジを生かした課題解決などの顧客価値を提供できるようになる。これらをパッケージ化し、SaaSモデルとして世界で展開する方針も示す。
データ収集技術に大きな期待
だが、ノゾミネットワークスの完全子会社化の本質的な狙いは、OTセキュリティーソリューションの強化や販売拡大ではない。
先にも触れたように、Serendieの肝になるのはデータであり、これをいかにセキュアに収集するかがかぎになる。そこに、ノゾミネットワークスの技術が重要な意味を持つことになる。
三菱電機専務執行役の加賀邦彦・インダストリー・モビリティBA(ビジネスエリア)オーナーは、「三菱電機はFA事業において、従来のコンポーネントの売り切りビジネスから、データを収集し、さまざまなサービスを提供するビジネスに拡大しようと考えている」と前置きした上で「このビジネスを広げるには、セキュアにデータを収集し、管理できるノゾミネットワークスの技術が有効である。顧客が安心して、データ活用に踏み出せるようになり、FA事業を加速させるためにも必要となる技術」と語る。
OTの現場では、複数ベンダーの多種多様なコンポーネントが稼働しており、一元的なデータ収集は難しい。他社のコンポーネントからデータを収集しても、そのデータに意味付けができず、分析や活用につなげられない課題もある。
加賀専務は「ノゾミネットワークスのデータ収集技術によって、100以上の通信プロトコルへの対応が可能になり、さまざまな機器から豊富な現場データを得られる。質が高いデータを大量に取得できれば、Serendieを通じて最大限に活用できる。OTセキュリティーの枠を超え、価値がある新たなサービスを創出できる」と展望する。
三菱電機は、ノゾミネットワークスの技術を生かしたデータ収集を、製造現場全体の制御や自動化ソリューションの提供、施設全体のエネルギーマネジメントへ展開する。加えて、三菱電機の各BAとの連携も進め、ビル領域やインフラ領域にも、Serendieのデータ活用ソリューション事業を拡大する考えだ。
武田専務は「ノゾミネットワークスの完全子会社化で、30年度には1兆1000億円の目標達成を確実なものにできる。さらに、その後の飛躍的な成長につなげることができる」と断言するのも、ノゾミネットワークスが持つデータ収集技術が、Serendieの推進に欠かせないものになるからだ。
ノゾミネットワークスの完全子会社化で、Serendieの成長戦略はより現実的なものになったと言える。今後は、新たな買収などにより、データ分析やAIエージェント活用の強化なども視野に入れているという。Serendieのさらなる展開に注目が集まるところだ。