シェアは3%にも満たない
──しかし、その割には上期(09年4~9月期)、中国でのオフショア開発の金額が前年同期比で減っています。増やす方針だったと記憶しているのですが。
藤沼 言ったことと違った結果になってしまいましたね。理由はいくつかあるのです。中国では9地域21社、計約3500人規模の開発パートナーに協力してもらっていますが、落ち込みが大きかった証券系の仕事がたまたま多く、この分野の発注量がガクンと減ってしまった。現場任せにしてしまった私の責任でもあるのですが、一方で、中国のパートナーも当社への営業の仕方をまだうまくこなせていない面がある。これまで右肩上がりで成長してきただけに、経験不足なのかもしれません。この点、国内の協力会社は、不況時の対応をよく心得ている。ソフト開発の外注費全体では、上期(09年4~9月期)、前年同期比で約6%減ですが、中国での開発ボリュームの減少は反省すべき点です。
──国内の情報サービス業界にとっては、仕事が少しでも海外に行かなくてよかったのではないですか。
藤沼 長い意味では、われわれの業界も製造業に学ばなければならないと思うのですよ。研究開発型で、生産するとしてもセル型の多品種少量。量産の領域は新興国など人件費が安く、将来の市場拡大が見込めるところでつくる。単に“空洞化”と断じるのではなく、世界がフラット化しているとみるべきです。規模が大きいSIerはグローバル化しないと勝ち残れないですし、逆に小さいところは得意分野に特化して強みを伸ばすしかない。
──他社はM&Aなどを通じて中国進出を積極的に進めていますが、御社はどうなのですか。少し保守的な印象を受けますが。
藤沼 アプローチの方法が違うだけです。例えば、09年11月には中国が国を挙げて取り組んでいるユビキタスネットワーク戦略の標準化委員会への参加が決まりました。日系企業では当社が初めてで、外資系企業ではノキアやシスコシステムズに次いで3番目となります。ただ、海外売上高が全体のまとまったボリュームまで拡大するには、もう少し時間がかかりそうです。中国では10年スパンで見ていて、ある企業を丸ごと買ってしまうというよりは、現地でしっかり人を採用したい。10年がかりで人を育てることで、中国で“第二のNRI”をつくる考えです。
──ただ、ライバル他社は動きが予想以上に速い。ITホールディングスはソランを傘下に収め、年商で御社を抜くのはほぼ確実です。
藤沼 国内の情報サービス産業は、同業者間取引を除いた真水で約12兆円。当社の年商は今期見通しで3400億円。シェアで見れば3%にも満たない。これ以上伸びないどころか、伸びる余地はまだたくさんあると考えるべきです。とくに金融比率が高い当社にとって、一般産業や医療へのシェア拡大の余地は大きい。
当社は、戦略コンサルタントを約400人抱えるコンサルティング能力が非常に高いSIerです。ユーザー企業の世界戦略の立案から入り、さらにその背後には超上流SEに相当する業務コンサルタントが多数控えている。ERP(統合基幹業務システム)やSCM(サプライチェーン管理)など、グローバル規模の改革にも対応できます。
──業績面では、戦略コンサルティング部分が苦戦したと伺っています。
藤沼 危機に面した時にこそ戦略が重要なのですが、少し期待が外れた感はあります。とはいえ、09年春頃から顧客の反応は徐々に改善され、夏過ぎには話合いのテーブルが用意されるようになりました。数字を上げていくのは今年からが本番です。中国ビジネスが向こう10年の計画なのに対して、製造や流通分野の開拓は3年スパンで大きく伸ばします。向こう3年、当社は大きく成長しますから、まあ、みていてください。
眼光紙背 ~取材を終えて~
野村総合研究所(NRI)を取り巻くライバルSIerは、火急ともいえる速度でM&Aやグローバル進出を展開する。それに比べてNRIの動きは鈍いようだが、業績の中味をよくみると、証券不況の影響下にある今期においてさえ連結営業利益率は13%前後を堅持。他の大手SIerの利益率を大きく上回る。売り上げについても2010年度以降、意欲的な成長計画を立てている。
収益の源は、強力な超上流コンサルティングとアウトソーシングにある。顧客のシステムを徹底的に改善。運用コストを下げて利益を創出する“NRIモデル”だ。その要となるデータセンターは、2012年度中をめどに、およそ200億円を投じて国内5か所目を竣工させる。
「NRIらしさ」を重視する藤沼彰久会長兼社長。有力市場の中国でも、焦らずじっくり人材を育て、NRIのモデルを着実に移植する。ライバルとは異なるアプローチだが、貪欲で野心的なトップSIerであることに変わりはない。(寶)
プロフィール
藤沼 彰久
(ふじぬま あきひさ)1950年、東京生まれ。74年、東京工業大学大学院制御工学科修士課程修了。同年、野村コンピュータシステム(現野村総合研究所)入社。親会社の野村證券のシステム構築に18年間携わる。94年、取締役情報技術本部副本部長兼先端システム技術部長。99年、常務取締役情報技術本部長兼システムコンサルティング部担当。オープン化、ダウンサイジング化を推進。01年、専務取締役証券・保険ソリューション部門長。02年4月、社長就任。08年4月、会長兼社長。