2020年までに売上倍増
──ホスティングなどの自社サービスも含め、クラウドビジネスを、経営上、どう位置づけておられますか。 田中 現在は情報サービス事業のなかに含めていますが、成長率が非常に高く、重要な事業です。なるべく早く、情報サービス、収納代行に続く三本目の独立した柱に育てたいですね。
──長期的には、現在の二本柱よりも大きくなるイメージですか。 田中 実は現在、2020年を目標年次とする長期の経営計画を立てています。全体の売上規模としては、2013年12月期の2倍以上に相当する500億円を目指します。当然、既存の二本柱も成長を図るわけですが、2020年時点で、クラウドビジネスの売り上げも二本柱の半分弱くらいにはしたいと考えています。
──クラウドは成長領域ですが、2020年時点でも事業規模は既存の情報サービス事業の半分弱。少し控えめな目標という感じもします。 田中 率直にいって、現段階では、お客様がクラウドをそれほど望んでいません。来年7月のWindows Server 2003のサポート終了に合わせてクラウドを提案するというのは、よく聞く話です。しかし、実際にはその市場がまだできていない。お客様自身に、システムを手元に置いておきたいという気持ちが強いんです。インフラはプロに任せたほうが安定した運用ができますが、その理解がなかなか進まない。
──クラウドに移行するとハードの取り扱いがなくなるなど、SIerにとっては売り上げが小さくなりますね。ユーザー企業の側でクラウドに対する理解が進まない背景には、SIer側がクラウドを積極的に提案していないということもあると思うのですが……。 田中 私がクラウドを将来的に大きな柱として育てたいのは、成長率が高いストックビジネスだと考えているからです。2020年の目標達成に向けては、収納代行、情報サービスも含めて、ストックビジネスをいかに積み上げられるかが勝負だと思っています。だから、経営者としては、できるだけクラウドに誘導したい。しかし、営業の現場は短期的に目標をクリアしていかなければならないので、やはり、まとまった成果を得たいわけです。そこは、ギャップがあるのが現状といわざるを得ないですね。
──営業の現場のマインドを変える施策は? 田中 難しいですね。今はまだ具体的なプランがありません。フロービジネスで成果を挙げ、目標を達成した人間を評価しないわけにはいかない。しかし、単価は低くても、中長期で会社の成長を支えるのはストックビジネスです。1年から2年くらいのスパンで、ストックビジネスへの貢献を社内でどう評価するのかを検討しなければならないとは考えています。これは、どのベンダーも苦労していることでしょう。しかし、乗り越えないとクラウドの拡大にはつながらない。
ストックビジネスは創業時からのDNA
──とにかくストックビジネスを重視するという姿勢が印象的です。収納代行やクラウドはストックビジネスそのものですが、情報サービス事業については、保守やサポートを強化するということですか。 田中 それに加えて重点的に取り組むのがBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)です。今年の9月に、M&Aでガーデンネットワークという会社がグループに加わりました。ガソリンスタンド(GS)向けに勘定系や情報系のシステムを販売している会社ですが、当社にも同様の処理を担当する部門があって、1000か所のGSの情報処理を請け負っています。BPOは、システムとサービスのシナジーで大きな伸びが期待できる領域だと考えています。
──なかなか差異化が難しい事業では? 田中 説明が難しいのですが、当社の出自は計算センターですから、創業時からBPOをやってきたわけです。この仕事は、理屈だけで済むようなものではなくて、泥臭くて本当にやっかいです。スマートにやろうと思っては、とてもできない。そこに長年にわたるノウハウが生きてくるんです。
──2020年時点で、ストックビジネスは全売上の何割くらいになる見込みですか。 田中 7割以上、できれば8割まで上げたいですね。ただ、現在も6割以上はストックビジネスですから、無理な計画ではありません。計算センターのDNAが、時代の変化に強いビジネスモデルづくりの礎になっていると実感します。
──事業環境の変化に強いビジネスモデルがあるからこそ、他社に先行したGoogle Apps事業への投資など、大胆な施策が生まれるのでしょうね。 田中 自分でも、当社は本当におもしろい会社だと思います。事業の幅が広いこともあるのでしょうが、いろいろなところからおもしろい事業の「芽」が出てくるんです。私がとくに気を配っているのは、この芽をいかに摘まないで成長させていくかということです。会社として新しい事業をやると決めたら、経営者には、そこに十分な経営資源を配分すること、そして粘り強く育てていく根気が求められます。
新しい事業ですから、すぐに成果が出るはずがない。短期的に利益を出すために、新しいことに投資をしない、もしくは、新しいことをやってみても、ちょっとうまくいかないとすぐに投資をやめてしまう。経営者は、そういう誘惑に駆られがちです。でも、ここを粘り強くやって、新しい芽を大切に育てて花を咲かせることができれば、長期的な成長の大きな武器になります。最初はうまくいかなくても、きちんとヒトやカネを充てて、成長の芽を摘むようなことはしない。それこそが私のなすべきことだと思っています。

‘たとえ単価が低くても会社の成長を支えるのはストックビジネスです。’<“KEY PERSON”の愛用品>契約書の署名にはパーカー 社長就任時に、前社長の宮地正直代表取締役会長執行役員CEOから贈ってもらったパーカーの万年筆。自社のさらなる成長への思いが託されたプレゼントだ。契約書の署名など、重要な場面では、必ずこの万年筆を使う。
眼光紙背 ~取材を終えて~
電算システムの岐阜本社の玄関では、ガラスケースに入った神輿が歓迎してくれる。新入社員は、毎年、4月第一土曜日の「岐阜まつり」で先輩社員と一緒にこの神輿を担ぐ。田中社長は、「これこそ当社と岐阜の強い結びつきの象徴」という。東京にも本社を置いているが、自身の出身地でもある岐阜には、並々ならぬ思い入れがあるようだ。計算センターとして、地域密着でBPOの泥臭いノウハウを蓄積してきたことが、ストックビジネスのDNAをかたちづくり、同社の強さの礎になっているということなのだろう。
多くのITベンダー同様、「2020年まではIT需要も順調に伸びるが、その後、フロー型のビジネスは一気に苦しくなる」とみる。ストックビジネスの成長により売り上げを2倍にするという野心的な目標を達成できれば、「その後」の経営の安定は約束されたようなもの。そのためにも、経営者には、新しい事業を辛抱強く育てる「忍耐」が必要だと、自らに言い聞かせるように繰り返したのが印象的だった。(霞)
プロフィール
田中 靖哲
田中 靖哲(たなか やすのり)
1953年、岐阜市生まれの61歳。77年、早稲田大学理工学部卒。79年、同大学大学院理工学研究科を修了し、電算システムに入社。91年、情報技術研究所所長。97年には取締役に就任。以後、常務取締役、専務取締役、専務取締役執行役員を歴任。2011年より現職。
会社紹介
1967年、岐阜県内の地銀4行と主要企業の共同出資により、情報処理業務受託を主要事業とする「岐阜電子計算センター」として設立される。77年、県外への事業拡大に伴い、現在の電算システムに社名変更した。主要事業は、情報サービス事業と収納代行サービス事業。総売上高のほぼ半分ずつを分け合う。現在は、東京、岐阜の両本社体制を敷く。2013年12月期の売上高は、前期比5.1%増の245億5900万円だった。従業員数は、連結で約700人。上場取引所は東証1部と名証1部。