ITから社会を映すNEWSを追う

<ITから社会を映すNEWSを追う>IT系ベンチャーは高層ビル好み

2007/10/15 16:04

週刊BCN 2007年10月15日vol.1207掲載

上昇志向の現れ?

時代で変遷する「ITのメッカ」

 ここ数年の都市再開発によって東京・品川、汐留、月島といった山手線の環状外にある旧倉庫地域や下町地域に大規模な高層ビルがニョキニョキと建ち並ぶようになった。それに加えて丸の内、六本木、青山などにも高層ビルが建ち、過去も現在も多くのIT系ベンチャーが入居する。建ち並ぶ高層ビルは東京の景観を変え、企業の立地条件にも変化をもたらしている。IT系ベンチャーは高層ビルがお好みらしい。(中尾英二(評論家)●取材/文)

■楽天、ヤフーも転出

 ITベンチャーが集結する不夜城として知られた六本木ヒルズ。かつての毛利藩上屋敷跡地を、森ビルグループが総力をあげて再開発した。メインとなっているのは地上54階、地下6階、高さ238m、延床面積約38万の六本木ヒルズ森タワーだ。美術館やショッピングモール、居住地区が並存する近未来型都市空間だ。

 「ヒルズ族」という流行語を生み出したのは、2003年4月に竣工した直後から。IT系ベンチャー企業の“勝ち組”が入居、若手経営者の多くが「いつかはヒルズに」と渇望したことによっている。

 入居者には、ニッポン放送株の大量取得で一躍話題を集めたライブドア、TBS株を大量取得した楽天をはじめ、サイバード、ヤフー、プロシードといったIT系企業や人材派遣のグッドウィル・グループが名を連ねていた。

 ところが、回転ドアによる男児死亡事故(04年3月)、ライブドア事件(06年1月)を境に、同ビルは一部で「一攫千金を夢見る胡乱(うろん)な起業家が集まる場所」と見られるようになってしまった。実際、1部上場の某ソフト会社経営者は苦笑しながら、「本社の移転を考えているが、六本木だけはゴメンだ」と語る。

 さらに旧防衛庁の跡地に東京ミッドタウンが完成したことで、ヒルズの付加価値は決定的ではなくなった。「ヒルズ族」の象徴だったライブドア、ヤフー、楽天といった企業が相次いで転出(または転出予定)すると“ITのメッカ”とはいえなくなる、という指摘もある。だがゴールドマン・サックス証券をはじめとする証券会社や投資ファンドが入居しているので、IT系ベンチャー企業にとって「いつかは……」であることに変わりはない。

■かつては渋谷、新宿、虎ノ門

 前出の1部上場ソフト会社経営者は言う。

 「自分たちが会社を起こした当時、一流企業なら丸の内と相場が決まっていた。都内で多くのソフト会社が集まっていたのは渋谷や新宿、虎ノ門ではなかったか」

 受託開発系SIerが社会的な認知を得た80年代前半のことだ。当時の渋谷、新宿は郊外からの交通の便がよく、再開発が進んでいた。新宿は淀橋浄水場跡地に京王プラザホテル、新宿センタービルといった100m級のビル(それでも当時は立派な「高層ビル」だった)が建ち始め、駅西口地下にコンコースが作られた。“若者の街”のイメージが、未来指向型のソフト会社にマッチしていた。

 渋谷には東邦生命ビル(現渋谷クロスビル)がそびえ建ち、道玄坂に本社を構えていた日本ビジネスコンサルタント(現日立情報システムズ)からスピンオフした新興企業が多かった。「新宿組は純粋な独立系、渋谷組は半独立系」というのが、業界の大方の見方となっていた。

 一方、虎ノ門はJR新橋駅から徒歩圏内であるうえに地下鉄の路線が集中し、霞ヶ関の官庁街に近いという立地のよさがあった。加えて富士通、NEC、日立製作所、沖電気工業のコンピュータ関連事業部門が、新橋から愛宕町、三田にかけて密集していた。郊外から通勤するのはちょっと遠いが、「堅い会社」のイメージがあった。

 80年代の後半になると、池袋が脚光を浴びた。大正期まで、JR池袋駅の西口からちょっと離れると、牛を放牧する草地が広がっていたといわれた街だが、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の跡地に地上60階のサンシャインシティが建ったのだ。日本ディジタルイクイップメント(日本DEC)、ジャパンシステム、日本CDC(コントロール・データ社日本法人)などがここを本拠にした。

■日本の金融街を構想

 90年代には、麹町界隈がITの“メッカ”になった。麹町にはバロース(現日本ユニシスの前身)があったが、新たに文芸春秋ビルが高層ビル化し、ここに飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本タンデムコンピューターズが入居した。さらに三井情報開発(現三井情報)、SRA(現SRAホールディングス)、日本システムサービス、地方自治情報センターがあった。

 溜池から赤坂、六本木にかけてがオフィスビルとして脚光を浴びたのは“ITのメッカ”が池袋から麹町に移る間のことだ。83年に赤坂ツインタワービルの一部(全館完成は92年)、86年にアークヒルズが相次いで竣工、日本IBM本社と並ぶ高層ビル群が形成された。

 「いつかはドンとした高層ビルに入ってやる。そういう思いで赤坂に最初のオフィスを構えた」

 というのは、インターコムの高橋啓介社長だ。起業したのはTBSの斜め向かいの小さなビルだった。しかし、この界隈は当初、徒歩5分圏内に地下鉄の最寄り駅がなかった。このためソフト会社が本社を構えるのには向いていなかった。それだけにCSK(現CSKホールディングス)の大川功社長(故人)がヘッドクォーターオフィスを構えたのが人目を引いた。

 六本木ヒルズは赤坂ツインタワービルと六本木アークヒルズのコンセプトを継承・発展させたもので、森ビル創業者・森泰吉郎氏が構想した近未来都市モデルは半分実現し、半分は途上にあるといっていい。

 そもそもアークヒルズが建つ界隈は、麻布台から溜池に向かう谷間で、東京オリンピックが行われた60年代の半ばごろまでは、戦災を逃れた平屋が建ち並んでいた。森泰吉郎氏が一軒ごとに将来の夢を語って説得し、少しずつ用地を確保していったことは、いまでは伝説になっている。

 興味深いのは、過去においてもIT系ベンチャー企業は高層ビル(もしくは高層ビルがある街)を好むということだ。品川、汐留、月島、豊洲といった高層ビル群にも、数多くのIT系企業が入居している。上昇志向のなせる業といえるかもしれない。

ズームアップ
森ビルの底流思想
 
 森泰吉郎氏は六本木に、ロンドンのシティ、ニューヨークのウォール街と並ぶ一大金融街を建設する夢を抱いていたといわれる。「ヒルズ」と名を付けたのは、しもた屋が建ち並ぶ谷間のイメージを払拭するだけでなく、街(シティ)、壁(ウォール)に対置する意味も込められていたという。
 実際、アークヒルズはそれまでのオフィスビルと比べ、天井高に余裕を持つ設計だった。金融関連企業の入居を企図して、情報処理機器や通信機器の配線を考慮したのだ。他の高層ビルと、一味二味違うのはこのためだ。
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