視点

負け続けたサムスンの底力をみよ

2013/04/18 16:41

週刊BCN 2013年04月15日vol.1477掲載

 過日、シャープに勤務する方から興味深い話を聞いた。10年前のことだが、シャープの亀山工場を見渡す小山に、毎日、タクシーで上る人がいた。その人物は、小山のてっぺんに到着すると、双眼鏡で工場に出入するトラックをチェックしてノートにつけていた。これを半年間毎日続けた。後にわかったところによると、この人物はサムスンの社員だった。話を聞かせてくれた人は、「仮にどこかのメーカーの社員が韓国・水原市のサムスンの工場に出入するトラックをチェックすることを思いついたとしても、おそらく3日や4日はできるかもしれないが、半年間、毎日続ける者は一人もいない。このような活動をあらゆる面で行った成果が今日のサムスンの経営状況につながっている」と断言する。

 これも時効なので述べるが、別の大手電機メーカーA社のある研究員が提案したフラッシュメモリの予算が、社内でどうしてもつかない。仕方がないので、各部門の予算を少しずつ回してもらって内緒で開発を始めた。開発したものがそこそこのものになってきた段階で、サムスンから買収の話が入った。内緒で始めた開発が数十億円。小躍りして韓国に出かけて契約書を交わし、開発の引き継ぎを行った。さて、その夜のサムスン迎賓館での晩餐会。なんとサムスンのオーナーが出席して深々と頭を下げてお礼の言葉を述べるではないか。「しまった! この契約はやばいかもしれない」と思ったが、もはや後の祭りである。

 サムスンの快進撃の根源は、この野性味を失わない組織運営にある。オーナー型経営だから、成果主義だから、韓国政府の支援政策があるからなど、いろいろな理由が挙げられる。どれも正しいかもしれないが、一番大きな要因は、日本の企業が、あるいは日本の政策当局が野性味を失い、長期の戦略策定ができなくなって、サムスンを利したことにある。

 先のシャープの方に、仮に10年前に戻れるならどういう戦略を取るのかとたずねたら、「自前主義を排して周りをみながら日本企業にしかできない製品づくりを練る」という答えが返ってきた。「ライバルは、国内のソニー、パナソニックだと信じて疑わなかったことが落とし穴であった」とも語った。

 敗戦の責任は誰にあるのか。これが難しい。経営者だけではない。政治家も、政府も、労働組合もいわば勝ち続けたことがアダとなって、なかなか原点に立ち戻れない。対して、サムスンは負け続けたがゆえに起死回生の手を打って今日の地位を掴んだのだ。

アジアビジネス探索者 増田辰弘

略歴

増田 辰弘(ますだ たつひろ)
 1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。
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