アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。
長年アジアビジネスを追いかけているが、こんなケースは始めてだ。日本企業のベトナム子会社が、現地のスタッフだけでウイスキーを開発、製造し日本や世界市場に販売しているのだ。日本の親会社は、田中屋(田中良治社長)という山梨県甲州市にある酒屋である。その酒屋が酒、焼酎、ワインなどを製造、販売するサンフーズという会社をつくり、タイとベトナムに進出している。
食品会社というのは内需産業であまり海外に出て行かない、行けない業種である。業種自体が政府の規制で守られているし、国内にはそれなりの需要がある。今回、ベトナムで食品系で進出した日本企業を追いかけたが何社もない。同社は1997年に進出し、2000年から日本人の出向社員はいない。
「主力製品の焼酎は需要に波がある。もう一つの主力製品を探し出したらどうか」と田中社長が提案。現地では新商品開発プロジェクトチームを設置した。開発のポイントは、いかにウイスキーをお金をかけずに安く、おいしくつくり出すかである。まず原料の大麦が国内で調達できるかどうか。製造方法は、インターネットで調べればたちどころに検索できる。あたりまえだがベトナム語で出てくる。次に、既存の焼酎の生産ラインを活用し新規の設備投資はなるべくしない方法を考えた。ウイスキーは、大麦麦芽の酵素によって糖化させた穀類の糖化液を酵母の添加のみによって発酵させて蒸留し、木(オーク)製の樽に詰めて3年間貯蔵庫で熟成させることによりできる。彼らはこれを極めて短期間でやり遂げた。
ラン社長は、「われわれは、専門の研究所で研究したのではないので、有名メーカーのようなウイスキーはつくれません。しかし、工夫をすればそこそこの製品はつくれるのです」と語る。
このウイスキーは、今後ベトナムの日本料理店などに本格的に販売する。本社でもウイスキーを生産しているので日本へはモルトを供給、ASEAN各国を中心にアジア、欧米向けはベトナムから販売して行く計画である。
ネット時代というのは、時間を超え、空間を超えて凄い世界を創りだす。ベトナムの社員達はそれ程すごいことをやったという自覚がない。ともかく本社の要請にただひたすら応えたいと頑張ってきただけなのだ。