昔も恥ずかしかった
浅草の近くに住んでいた頃、人力車をよく見かけた。周囲の視線を集めるので、初めて乗るときは少し恥ずかしく、勇気が必要だったことを覚えている。
人力車が登場した明治初期も同じだったようで、はじめは恥ずかしがってさっぱり客はつかなかったという。そこで家族や親類を客に仕立てて近所中を引いてまわったところ、利用者が現れるようになった。
当時の公共の移動手段であったかごや馬より運賃が安く、徒歩の約2倍のスピードが出る人力車の人気はうなぎ上り。五街道の起点である日本橋を中心に営業していたこともあり、数年のうちに多くのかご屋が人力車の車夫へと転向するなど、急速に普及した。そんな人力車も鉄道や自動車の登場で大きく数を減らした。現代では、さまざまな観光地やイベントで活躍している。
快適な乗り心地と、普段とは違った視点からの景色は確かに魅力だが、それ以上に印象に残っているのは車夫のガイドだ。知っている街でも軽妙なトークで紹介されると一層興味がわいた。社風によって異なるのかもしれないが、車夫はただの運び手ではなく、エンターテイナーの要素も兼ね備えていた。思い出したら、また乗りたくなった。(駄)
由来
1870年3月24日、人力車を発明したグループの3人に東京府から人力車の製造と営業の許可が下り、東京・日本橋のたもとで営業を始めたことから、1998年、くるま屋日本橋が制定。日本橋人力車の日とも呼ばれている。