拡大のための投資を行うべき時期
──2011年に5000万ドル、12年に7000万ドルの資金調達をしていますが、現在は黒字ですか。 リービン 現状では、利益は出ていません。2011年に黒字になりましたが、さらに資金調達をしたうえで、拡大・成長のために製品・サービス開発に投資しました。それでも財務状況自体は健全です。会社として継続してオペレーションしていける預貯金を抱えていますし、いまは会社を大きくすることに注力する時期だと考えています。
安易に黒字に転換して利益に飛びつくのは、正しいこととは思えません。むしろ、成長のポテンシャルが損なわれます。投資家は、一度黒字になると、それにどんどん執着し始めますから。
──いずれは株式公開するというお話もしばしば口にされていますね。 リービン 企業倫理上、どこかの時点で株式を公開すべきだとは思っています。Evernoteは、生涯を通してユーザーに価値を提供できる100年企業を目指しています。ユーザーにはそのメッセージを信頼してもらっているわけですから、われわれの財務を透明性をもって見てもらえるようにするのはもちろん、恩返しという意味で、誰でもEvernoteに投資できるようにしたいのです。
ただ、上場することを財務的、金銭的なチャンスだとはみていません。100年存続する企業になるための構造的なステップにすぎないと思っています。上場を急ぐ必要はありません。上場するのにふさわしい会社になった段階で動き出せばいい。あと2~3年はかかるでしょうね。
──上場するのにふさわしい会社になるとは、具体的にどうなることですか。 リービン 会社組織として、あらゆる面でワールドクラスになることです。われわれは、製品・プロダクトをつくることには長けていて、ワールドクラスになったと自負しています。しかし、会社運営という意味では課題が多い。多様な人材をバランスよく配置して、ワールドクラスのオペレーションができるチームをつくらなければなりません。そのための取り組みはすでに始めていて、最近では、グローバルのアナリティクス担当副社長や、世界10拠点のセールス、マーケティング活動などを調整、コーディネートする副社長を新たに任命しました。こういうステップを重ねていくことによって、株式公開にふさわしい偉大な企業になることができると思います。
ブランドを明確に定義できれば長生きできる
──利益が出なくても、ビジネスを成長させるためには収益を拡大していく必要があると思いますが、その柱は何になるのでしょうか。 リービン 基本的に、Evernoteには、自分たちの製品を買ってもらって収益を上げるというシンプルなビジネスモデルしか存在しません。これは、広告やデータマイニングに活路を見出そうとしている他のクラウドサービス系の企業と大きく違う点です。企業活動を長く継続するためには、お客様に信頼されることが何よりも大事なわけで、当社のビジネスモデルはお客様と利益相反がなく、そこが大きな強みだと自負しています。
有料の商材としては、法人向けの「Evernote Business」と、コンシューマ向けで600万ユーザーを獲得している「Evernote プレミアム」がありますが、定額課金で製品に対する直接的な対価をいただくという意味では同じモデルです。それ以外に、スキャナやスタイラスペンなど、パートナーがつくった製品を売るマーケットプレイス経由の収益もありますが、割合としては、定額課金が売り上げの7割から8割を占めていて、こちらをより重要視しています。
──企業を100年存続させるという宣言は、先を見通すのが難しいIT市場の企業としては、珍しいですね。実現するためには何が必要でしょうか。 リービン まず必要なのは、俯瞰でみた長期計画を練ることです。そのために私は、100年以上存続する企業を徹底的に調べました。そういう企業は世界中に3000社ほどありますが、そのうちの2000社はなんと日本企業なんです。彼らから、三つのキーポイントがあることを学びました。
まず一つは、その会社がもつブランドを明確に定義できているかということです。「Evernote」という製品自体が100年後にどうなっているかはわかるはずもありませんが、Evernoteというブランドが100年後、どうあるべきかということは私の頭の中では明確になっています。100年後も変わらず、生産性を高めようと志すナレッジワーカーにとって重要なブランドであり続けたいと考えています。
二点目は、ビジネスでの利益相反をできるだけなくすことです。トリックのようなやり方で短期にお金を稼ぐという考えは捨てるべきです。よい製品をつくって、それをお客様に買ってもらうというビジネスを長期間続ける姿勢が重要です。
そして三点目、これが最も大切なのですが、現在働いている社員が辞めた後も会社はずっと継続していかなければならないことを理解し、それに耐えうる組織をつくることです。そのためには、適切なポジションに適切な人材を配置し、きちんと時間をかけて、適切な構造をつくることが大事です。これらは先ほどもお話ししたように、いま私が経営者として胆に銘じていることです。

‘企業活動を長く継続するためには、お客様に信頼されることが何よりも大事。Evernoteのビジネスモデルはお客様と利益相反がなく、そこが大きな強みだと自負しています。’<“KEY PERSON”の愛用品>スプリングドライブ搭載のグランドセイコー 6年前に購入したグランドセイコーの腕時計。セイコーが開発したムーブメント「スプリングドライブ」を搭載している。「伝統的なメカニズムと新しいテクノロジーを組み合わせたすばらしい製品」とベタぼめだ。
眼光紙背 ~取材を終えて~
Evernoteは、コンシューマ向けのアプリを起点として、SMB、エンタープライズへとビジネスのフィールドを拡大してきた。米西海岸のスタートアップとして世に出た企業らしく、イケイケの経営戦略をもっているのかと思いきや、話してくれたビジョンは堅実そのもの。ユーザーとの利益相反をできるだけ排し、シンプルなビジネスモデルにこだわる姿には、新鮮な驚きを覚えた。
Evernoteを、「人間のマインドをカバーする、スポーツする人にとってのナイキのようなブランドにしたい」と熱く語るリービンCEO。100年企業の先輩がひしめく日本への思いは熱い。その一社である内田洋行とは協力関係にあるといい、愛用の高級腕時計も日本製だ。見方によっては、顧客とていねいに信頼関係を構築していくトラディショナルな日本的ビジネス感覚を武器に大きな成長を実現しているといえるのではないか。
まさに、温故知新。この「逆輸入」企業から、日本のITベンダーが学ぶべきことは多そうだ。
プロフィール
フィル・リービン
フィル・リービン(Phil Libin)
2007年にEvernoteのCEOに就任。ボストンを拠点とするインターネットソフトウェア開発企業であるEngine 5や、スマート信用証明技術や認証管理技術を政府や大企業に提供するCoreStreetを立ち上げ、経営トップとして事業を拡大した実績をもつ。
会社紹介
テキスト、写真、音声、ウェブページなど、あらゆる情報をインターネット上に保存し、さまざまなデバイスで編集・閲覧できるクラウドサービス「Evernote」を開発、提供している。サービス開始は2008年。日本語版は2010年に提供開始した。コンシューマ向けサービスは、無料版と有料版の「Evernote プレミアム」がある。2012年12月には、法人向けサービスの「EvernoteBusiness」を世界で同時にリリースした。ユーザー数は、全サービス合計で1億人を超えた。