視点

オープンソースソフトウェアとIT教育

2003/07/21 16:41

週刊BCN 2003年07月21日vol.999掲載

 Linuxをキャンパスに導入することになった。そのさい、「なぜLinuxなどを導入するのか?」という疑問が、初学年生を教える教員から出たのでびっくりした。どうも「一番流行っているワープロソフトや表計算ソフト、あるいはデータベースやプレゼンテーションソフトを教えることが、IT教育だ」と思い込んでいる節がある。

また、「業者の認定試験にでも受かれば就職にも有利だろう」という錯覚もあるようだ。ここまで、Mac89の模造基本ソフトがこの国にはびこってしまったということか!

 ここで、いつも一番問題になるのが、IT教育におけるプログラミングの意義づけである。それはクローズドな世界とオープンな世界を分ける鍵だという理解に関係する。

 プログラムには少なくとも3つの意義があるだろう。(1)問題分析・解法のほとんど唯一の道具である。(2)計算機の原理を基礎から学ぶ唯一の道具である。(3)習得過程で自分の創意工夫を凝らすメタ学習を体験できる、ほとんど唯一の道具である。

 この3つは、お仕着せの閉じたリテラシーソフトではできっこない。例えば、コンパイラはワープロソフトでは作れない。計算機の原理は表計算ソフトからは出てこない。プレゼンテーションソフトは、ゲームセンターの業者ゲームに凝るようなものだ。

 クローズドのリテラシーソフトやその操作法から、若い人の独創的発想が出てくるわけがない。「コロンブスの卵」はオープンな世界からしか生まれないのだ。

 7月10日のウィンドゥズ・シリーズの不具合にしても、クローズドのリテラシーソフト的発想では、業者の更新ソフトを継接ぎしようという対策にしかならない。パッチそのものがすでに妖しいことに思い及ばない。各版ごとに3000以上の不具合が残っている代物にもかかわらずだ。

 大学まで、ファーストフード店や遊園地のマニュアルのようなIT教育をやるようになったら、世も末だ。

 もっとも、山本夏彦ではないが、一寸先は闇という。まずは、教員自身が業者マニュアルに毒されている現状の打破から始めるしかないであろう。標語は「クローズドからオープンソフトへ」である。
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