視点
想像力を欠いた社会の危うさ
2010/08/05 16:41
週刊BCN 2010年08月02日vol.1344掲載
二つに共通するのが、「ウェブに投稿する、情報を発信する」行為が、誰に、どのような結果をもたらすかの想像力が欠けているという根深い問題である。つまり、ウェブやインターネットの同時性、無制限に拡大する特徴を有するメディアに情報を発信することの重大性を認識していない点だ。この種の不適切な情報発信行為は、モラルの観点で大きな亀裂ができているような気がしてならない。つまり、ウェブによる情報発信の容易性は見事に構築されているが、誰も規制できない無法状態となっているのだ。
新しい社会規範が今まさに問われている。匿名から実名に変わりつつあるSNSなどは、モラルハザード以前の状態で、抜き身の情報が四六時中溢れかえっている。セキュリティなどの仕組みで防ぐことのできる範囲は限定される。個人の悪意のない行為が、誰かを傷つけたり不快に思わせたりするであろう、その「想像力が欠けている」状態は、根源的には、自分さえ良ければよいという社会的な風潮に原因があるかもしれない。そこには「正しい振る舞いやしつけ」などについて誰も範を垂れず、事件として発覚して初めて問題として取り上げられることになる。先の二つの例は典型的な、そんなに悪いことをしたとは思わなかった意識のなせる業であろう。
良識とか正義といった大上段に構えた話ではなく、「エンターキーを押したならば、この情報が無限に広がっていく」ことの想像力を少しでも備えれば、その行為の可否を問えるはずだ。その礼儀や作法、規範を、年長者であるわれわれの世代が身をもって示さねばならない。
韓国ドラマの「イ・サン」で、王にとって最も重要な資質は何か? と後の名君・世孫が問われ、「民の気持ちを理解する、どうすれば最もよいかを民の視点で考えて実行すること」が大事だと、当時の王から諭される。単純だが、実は本質を突いている指摘だ。相手の立場になって考える、それは想像力の問題になる。本質は常に変わらず、単純な形で目の前にあるからだ。
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