メイド・イン・ジャパン・ソフトウエア・コンソーシアム(MIJS)は、9月15日、中国ビジネスにフォーカスしたイベント「Open Fantastic Global Meeting 2011」を開催した。このなかで、BCNの奥田喜久男社長をモデレータとしてパネルディスカッションが行われた。「中国ビジネスの実態と攻略法」と題して、闊利達軟件(上海)の飯島邦夫総経理、サイボウズの青野慶久社長、WEICの内山雄輝社長が議論を交わした。その様子を再現する。

商品作り、売り方をテーマに

闊利達軟件(上海)
飯島邦夫 総経理
WEIC
内山雄輝 社長
サイボウズ
青野慶久 社長
 ――まずは皆さんの会社の中国ビジネスについて紹介をお願いします。

 飯島
 弊社クオリティは2002年10月に上海法人をつくり、08年に私が総経理として赴任して、国際版の製品の販売を正式に開始しました。主に日系企業を中心で、導入社数で100社、2万ライセンスほどの実績が出ています。昨年より、ローカル市場向けに現地開発した製品を年初に発売し、ローカル企業の導入も始まりました。

 青野 サイボウズの一番得意なグループウェアをSaaS型で日系企業さんに提供しています。1997年に創業した後、2001年に米国現地法人をつくって大失敗しまして、06年に撤退しているという苦い過去があります。その反省に立って、もう少し地道に市場を開拓しようというところで、中国、アジアの日系企業への販売を進めています。現状170社の顧客がついて売り上げも安定し、黒字化しています。

 内山 当社は早稲田大学発のベンチャー企業です。人が早く言葉を話せるようになるにはどうしたらいいのかという研究に基づき、語学教育理論をシステム化し、それをSaaSで提供しています。中国では、学校・企業向けのシステムをOEM供給しています。最近、やっと黒字化しました。

 ――皆さん、中国事業の黒字化を果たしておられます。中国でどんな経営をすれば成功するとみていますか。

 飯島
 中国のスタッフのみで6年間ほど運営してきた後、私が赴任しました。着任して初めて分かったのは日本からの情報がほとんど伝わっていないという現実でした。「中国だから」という見方をしている日本側スタッフと、仕事をもらっているからと強く言えない中国人スタッフがいて、社内にまでグレートファイアウォールがあるかのようでした。お互いの信頼関係を築き直すことから初め、コミュニケーションが取れるようになったことで仕事が回り始めました。

 青野 私たちは比較的早い段階で、三人の優秀なパートナーと巡り合えました。それぞれ会社を経営していたのが共通点です。米国で失敗したのは、まったく異なる環境で商売するのに、サラリーマン的な人物を送り込んでしまったことでした。中国はベンチャー的思考の人に出会えたのが成功の要因だと思います。

 ――日系企業向けと現地企業向けとでは、商品づくりが異なるのですか。

 内山
 社内の中国人スタッフに現地の人に受け入れられるであろう、最低限のローカライズをしてくれと指示しています。あとは実績づくりのために販売し、顧客から上がった意見を反映して開発してきました。学習効果を発揮しながら、デザイン性や使いやすさなど、嗜好に合わせた製品を追求しました。

 青野 私どもは日系企業にしか製品を提供していませんが、それでもニーズが違っていることを実感しました。先般、日系企業にうかがったときに「俺以外の社員はスケジュール管理なんてしたことがない。何十人かは3か月前まで畑で農作業をしていた」といわれてしまいました。会社勤め自体が初めての人に「休みたいときは申請してね」「ものを買うときは上司の承諾を得てね」というルールを守らせなければいけません。日本ではワークフロー機能はあくまで+αの部分でしたが、現地ではワークフローに力を入れています。

 飯島 日本で企画開発した製品を国際版として日系企業に販売をしていますが、ニーズが違うことから展開するソリューションはまったく日本と変えています。特にローカル企業における商談では、日本では想定もしていない機能の要求があがってきます。それを日本側へ機能要望としてリクエストしたとしても、日本で必要ない機能が実装されることはまずありません。そこで現地で企画開発することとし、商談毎の要求をすぐに開発に反映できる体制を作ったことで、実績につながってきました。

 ――商品はできあがった。次はそれをどのようにして売っていくのかが問題になります。

 青野
 売り方も、結論からいえば、まったく違いました。サイボウズは1997年に愛媛県松山市で創業し、グループウェアをインターネットのダウンロード販売で売りました。これが奏功し、創業4か月で黒字化しました。中国も大きく変わっていますから、インターネットで広告を出せば買ってくれるかと期待していましたが、当てが外れました。日系企業で必ずしもITに詳しい人が赴任しているわけではないので、営業するにも手取り足取り、運用設定も手取り足取り、フォローしながら売っています。

 飯島 ローカルスタッフが日系企業のリストから電話をし、システム担当者をつきとめ、何度も電話して仲良くなったところでアポイントをとり訪問するようにしました。日本人の上長に提案する場面では日本人の営業が説明に行きます。さらに総経理クラスの承認を取る必要がある場合は、私が直接伺い提案させていただくといった活動で実績を積み上げました。売るためには近道はなく当たり前のことを行うことだったと思います。その結果広告費を捻出することができました。

 内山 当社はSaaSにこだわっていました。外資の競合企業もいましたが、パッケージで「配る」戦略をとったものだから、コピー品が出回り、やむなく撤退しました。SaaSで販売することを貫くことで生き残れたのです。もう一つ、これは今も苦慮していますが、代理店制度です。代理店にバルクで大量に買ってもらって、中国各地で販売していました。しかし、WEICが自社で販売したいときに代理店との価格の差とか、いろいろな問題が起こってきて、結局は代理店販売で売り上げは上がったものの、その後の管理が大変で、その辺は模索中です。