近所にある個人経営のレストランが、ついにセルフオーダーの仕組みを導入した。店は広くはないが、席は1階と2階に分かれている。2階から注文するときは呼び出しボタンを押すのだが、店が多忙を極めるピーク時間帯などには、飲み物1杯のためだけにベルを鳴らし、店員に階段を上がってきてもらうのがどこか申し訳なかった。今では自分のスマートフォンから気軽に注文できるようになり、ここで食事するときに飲む量は、以前より1杯多くなった。
セルフオーダーの導入が始まったころは、今より不満の声を耳にすることが多かったように思う。注文を取るという店員の仕事を客が肩代わりするという構図が、サービスの低下として受け止められたのだろう。しかし、店員が席に来るのを待たずに注文できれば、店で飲食をして過ごす時間の総合的な満足度は、むしろ向上する。そのことが広く知れわたるにつれ、抵抗感がなくなっていったのだと思う。
「DXとはテクノロジーによるビジネス変革であり、単なる業務効率化ではない」という指摘が盛んに行われてきた。セルフオーダーの導入がビジネス変革と言えるかは意見が分かれるだろう。しかし、オーダー業務が店側から客側へと移り、注文を取るという仕事が消滅した結果だけを見ても、少なくとも業務プロセスには革新が生まれたと言っていい。私は、セルフオーダーは立派なDXだと考えている。
本紙に「デジタルトランスフォーメーション」という言葉が初めて登場してから、10年あまりが経過した。当時は正直なところ、この言葉にどこかいんちき臭い印象を抱いた。表現だけを変えながら中身は似たようなことを繰り返している、IT業界のはやり言葉には食傷気味だったからだ。
ただ、業界側がどこまで変わったかの評価はひとまず脇に置くとして、ITの利用者たる日本社会の側が大きく変化したのは間違いない。少子高齢化と労働力人口不足の解決にはテクノロジーの活用が不可欠だという認識は、この10年で完全に定着した。中小企業も小さな地方自治体も、DXなしで先はないと考えるようになっている。
師走に入り、そんなことを思いながら、別の店でランチを注文しようとタブレットの画面に触れたが反応がない。ソフトウェアの不具合かと思って店員を呼んだら、原因は自分の指先の乾燥だった。DXを語る前に、自分というハードウェアのケアが必要なようだ。
週刊BCN 編集長 日高 彰

日高 彰(ひだか あきら)
1979年生まれ。愛知県名古屋市出身。PC情報誌のWebサイトで編集者を務めた後、独立しフリーランス記者となり、IT、エレクトロニクス、通信などの領域で取材・執筆活動を行う。2015年にBCNへ入社し、「週刊BCN」記者、リテールメディア(現「BCN+R」)記者を務める。本紙副編集長を経て、25年1月から現職。