2月、米Anthropic(アンソロピック)が「Claude Opus 4.6」、米OpenAI(オープンエーアイ)が「GPT-5.3-Codex」を相次いで発表した。両社の生成AIモデルの最新版で、いずれもコーディング性能の高さを売りにしている。
両社の発表前後で、米国のIT大手の株価は軒並み大きく下落した。一部投資家の間で、生成AI向けの過大な投資に支えられたIT業界の勢いは“バブル”なのではないかという疑問がくすぶる中、高性能なコーディングAIが登場したことによって、ソフトウェアビジネス自体がAIによって代替されてしまう懸念が一気に広がった。テクノロジーへの期待で膨らんだ評価が、テクノロジーそのものによってしぼむという皮肉な現象だ。
生成AIがソフトウェア産業の命を奪うという見方は、本当に正しいのか。しばしば飛び出すこの手の極論に対する正答はいつも「Yes and No」である。ある部分では正しいし、ある部分では間違っている。生成AIによってコーディング作業が大幅に効率化できる領域があることは既に確認されているし、それで職を失う人が出る可能性もある。一方、特に基幹業務向けのソフトウェアを中心に、企業が求めるセキュリティーポリシーやガバナンスの水準を満たすためには、生成AIが書いたコードをそのまま納品するわけにはいかない。AIがどれだけ高度になっても、仕事に対して責任を負うことは人間にしかできない。
ただ、AIがソフトウェアを開発できる時代になると、ITベンダーが提供する製品やサービスが顧客の課題解決に本当につながっているか、よりシビアに評価されるようになることは避けられない。
もう何十年も前から、多くのITベンダーが「ソリューション(課題解決策)プロバイダー」を名乗っているが、ほとんどのベンダーの主力商品は納品物や保守サービスであり、顧客の課題がどれだけ解決したかと売り上げが直結しているわけではない。しかし、開発や運用の一部がAIによって代替され、あるいは顧客自身の側で行えるようになれば、課題解決への貢献が希薄なサービスの価値は失われる。
真の課題解決策を提供している企業の役割を生成AIが奪うことはない。しかし、提供しているものが名ばかりのソリューションだったとしたら、そのビジネスの正体は、生成AIによって白日の下にさらされることになるだろう。
週刊BCN 編集長 日高 彰

日高 彰(ひだか あきら)
1979年生まれ。愛知県名古屋市出身。PC情報誌のWebサイトで編集者を務めた後、独立しフリーランス記者となり、IT、エレクトロニクス、通信などの領域で取材・執筆活動を行う。2015年にBCNへ入社し、「週刊BCN」記者、リテールメディア(現「BCN+R」)記者を務める。本紙副編集長を経て、25年1月から現職。